2014年御翼6月号その2

ユーモアと優しさの森下先生著『「氷点」解凍』

 

 以下は、ユーモア溢れる森下辰衛先生(元福岡女学院大学教授)の『「氷点」解凍』(小学館)からである。

 私は年齢相応に見られることがあまりない。三十代だった十数年前、ある場所で調査をしていて、父親ぐらいの年齢の人に、「森下さんは終戦のときはどちらにいらっしゃいましたか?」と聞かれて困ったことがある。この悲劇は二十五歳のときに始まった。あるとき、人に「森下君、てっぺんが薄くなってるよ」と指摘されて気づくという迂闊(うかつ)さだった。額が少しずつ広くなっているという自覚はあったのだが、てっぺんからも来るとは思わなかった。「青天の霹靂(へきれき)」ならざる、「てっぺんの霹靂」だった。

それまで困るほど髪が多かった私にとってハゲは信じがたいものだった。〈老い〉とその向こうにある〈死〉、そして〈愛されにくい存在になる〉ということを突きつけられて、鏡を見るのがいやになり、苛立ちと悪夢に襲われた。ちょうど運悪く深夜ラジオで「女性に聞きました。あなたの好きな男性のタイプは?」というアンケートの結果を発表していた。太った人がいいという人も、足の短い人がいいという人もいたが、ハゲの方が好きという人だけは、何と0%だった。希望がないじゃないか! 大変なショックだった。しばらくのた打ち回った挙句(あげく)、私は天に向かってこう叫んだ。「みんな、ハゲろー! 世界中の男は、みんなハゲろー!」
このとき本当に私は禿(は)げていたのだと思う。人生の上辺(うわべ)が剥(ぱ)がされたのだ。ふさふさしていたときには隠せていたのに隠せなくなった本当の私。中身も自信もない、死や老いに対する解決を持たない、不貞腐(ふてくさ)れた、本当ははじめから悲惨だった私。空しくて、そして人を呪うような私が、丸裸にされてしまったのだ。

 しかしここが大事なのだ。聖書を読むと、イエス・キリストも十字架の上で叫んでいる。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか)」私の場合は「我が髪、我が髪、どうして私をお見捨てになったのですか」だが、人はこう叫んでよいのだ。喚(わめ)いたり泣いたりしていいのだ。そのためにキリストは見本を示しているのだ。「健康も、恋人も、師も失った」堀田綾子(三浦綾子)も叫んだだろう。その叫びの姿が本当の貧しさということだ。人生のなかで一番大事な出会いというものは、そのようなときにしかない。人にせよ、言葉にせよ、世界の真理にせよ、あるいは使命にせよ、出会いの事件として私たちの心に刺さってくるとき、それは聖なる時間である。

 星野富弘という人も『塩狩峠』を読んで衝撃を受け、『道ありき』を読んで希望を持ち、聖書を読んで信仰を持った人だ。彼は「れんぎょう」の花を描いて、そこにこんな詩をつけている。
   私は傷を持っている
   でも その傷のところから
   あなたのやさしさが しみてくる  (詩集『風の旅』)
 彼は二十三歳で中学校の体育の教師になるが、二か月で大けがをして首から下が全く動かないからだになってしまう。しかし、彼はそこで「あなたのやさしさ」に出会っていった。「百姓の女」とさげすんでいたお母さんのやさしさ、友だちや家族や病院で出会ったたくさんの人たちのやさしさ、結婚してくれた昌子さんのやさしさ、大嫌いだったあの田舎のやさしさ、そして、それらの背後にある大文字の「あなた」のやさしさに、彼は出会った。「傷を通してしか出会えなかった(あなたのやさしさ)のことを思うと、この傷はあなたに出会うために私の人生にあなたが開けてくださった扉だったのですね」という神への感謝と共にこの一行は語られているのだ。 

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